今週のお題「怖い話」
はてなブログさんの今週のテーマが怖い話なのでそれに乗じて・・・
どうもっ!!
好きな映画は乳シネマパラダイスでお馴染みの
豆乳首ゴメスだよっ!!
恐怖感の演出に失乳(しっパイ) !!
さてもさてもリネレボも3周年でございまして
皆様日夜妖怪狩り、楽しんでおられますか?
ゴメスはいまいちまだシステムが理解できていませんので、今日はちょっとリネレボとは関係なく別の視点から記事を書いてみようと思います。
~豆乳首ゴメスの怖い話~
はてなブログを使用し始めてから2年間が過ぎ、かれこれ150以上の記事を書いてきました。何が怖いって、こんな名前のMMOプレイヤーが3年間も沢山の友人に恵まれて楽しくゲームライフを満喫していることかもしれませんが、本日はリネレボ3周年で大々的に取り上げられた安倍晴明にちょっと関係するお話とリネレボのために開設したツイッターアカウントで起こった怖い話の2本立てでお話してみたいと思います。
まずは安倍晴明のお話から。
話はもう10年以上も前。
ゴメスが大学生の頃までさかのぼります。
ちょうどゴメスは大学進学のために京都に出てきて、それからずっと京都で過ごしています。
その日も今日のようなうだるような暑さだった。
ゴメスを含めた4人で遊びに行く予定で車に乗っていた時の会話。
ゴメス
「昔、小学校の修学旅行でこの辺のホテルに泊まったわ。そん時さ、同じクラスの子で兵隊の幽霊が見えるって泣きだした子がいてさ・・・」
ちょうど夏のお盆付近。
ちょっと怖い話でもけしかけてみようってなもんだ。
友人A
「ああ。それは結構ある話なんよ。」
京都生まれ京都育ちの彼が何の驚きもなく当たり前のように話始めたので、興味が沸いてその先の話を催促。
友人A
「もうすぐ右手に見えてくるのが晴明神社。安倍晴明を祀った神社やねん。俺もちゃんと知らへんねんけど、安倍晴明って式神っていう鬼を飼っていたらしいのよ。その式神ってのが醜くて、晴明の奥さんが怖がったから普段は晴明神社の向かいの橋の下に隠れていたそうなんよな。それが今から左手に見えてくる【一条戻り橋】やねん。だからあの橋には不思議な力が宿ってるらしいのよ。」
ゴメス
「ほんほん、それで?」
友人A
「昔の京都は御所を真ん中にして、一条から九条まで、西大路から東大路までって形で街ができていた。だから、いま俺らが走ってるこの辺りは・・・」
ゴメス
「当時の京都の端っこか。」
友人A
「そういうこと。で、当時の京都ってのは葬式も風葬ってのが主流やった。風葬ってのは死体を野に置きっぱなしにして葬る手法。街中で腐ってしまっては問題やから、死体を山の方へ運んだのさ。」
ゴメス
「風葬・・・怖いね。」
友人A
「今なら法令違反やな。まぁそれでよくその風葬場に死体を運ぶのにその橋が使われたわけ。実は橋の名前は当時は戻り橋じゃなかったんやけど、ある人が死んで運ばれていく中、その人の息子が死に目に立ち会えなかったことを嘆いて蘇ってくれってお願いしたのよ。するとほんとにその死んだ親父が生き返ったって話が有名になって【一条戻り橋】って名前に変わったんよな。」
ゴメス
「うん、兵隊の霊の話と全然関係ないやん。」
友人A
「いやいや、要するには“あの橋”には安倍晴明の鬼の力が宿っていて、京都から出ようとする人を引き戻してしまう力があるってことさ。だから、戦時中、京都から出兵する人はみんなわざわざこの橋を通ってから戦地に行ったって話さ。」
ゴメス
「そうか、それで無事に帰ってこられた人がたくさんいたってこと?」
友人A
「いんや、魂だけ帰ってきたんやろうな。だからこの辺りの旅館ではよく兵士の霊が出るってことよ。」
それなりによくできた話だと感心した一同は暇なこと、すぐ近くの場所であることも相まって晴明神社を参拝してから一条戻り橋へ行ってみることにした。
そのどちらも特に大きな特徴があるわけではない。
これは現在のGoogleマップからの引用なのだけれど、特に当時と様子は変わっていない。
ちょっとした案内板みたいなものがあって、先ほどの友人Aが話したこの橋の名前の由来やその他の伝説についてのあらすじが書いてあったりした程度だった。
勉強にはなったけど怖くはないな。まぁ当然ながら明るい時間だし怖いはずもない。
だけどゴメスたちがそんなことをいうものだから、友人Aは躍起になったのだろうか。
「夜になったらもっと怖いところへ行こう」
そんなことを言い出した。
~もっと怖い話~
京都に住んでいる人ならなんとなく察しが付くかもしれない。
そんな経緯でやってきたのが
清滝トンネル。
この画像もGoogleマップからの引用だけど、当時と大きな違いはないはずである。
安倍晴明巡りののち、確かしこたま焼肉を食べて、誰かの下宿先で一休みしてからの出発だったように思う。0時は確実に過ぎていたのではないだろうか。
ここが先ほどの話に出てきた、当時の京都で最大規模の風葬場があった場所だそう。
現在はトンネル入口手前に信号があり、通常車で通る場合は絶対に赤信号であるとのこと。
これが信号が見えてからずっと青信号だった場合は冥界に誘われているから走り抜けてはいけない。
トンネルの手前、赤信号が見える場所に停めた車内で友人Aから聞いた話の受け売りだ。
だけれどGoogleマップでもしっかりと一旦赤信号で止まっている様子がわかり感心した。
地元では誰もが知っている恐怖話であるが、ゴメスはこの日が初耳でそれなりに怖いような気もしたがいかんせん目の前の信号は赤である。
反応の悪い一同にバツが悪くなったのか、友人Aはとんでもないことを言い出した。
「そんなに長くないし、一本道だし、懐中電灯持ってきたし、ジャン負けな!!」
要するにはじゃんけんで負けたやつが一人で歩いて向こうまで渡ろうと言うのだ。
そしてお察しの通り負けたのはゴメスであった。
叫んで悔しがるゴメスを置き去りにして、残りの三人を乗せた車はトンネルの奥に進んでいった。
ちなみにこれもGoogleマップさんからの引用だけれど
お昼でも入り口からして結構な暗さだ。
先ほど、では中はどれほど暗いのだろうとマップを進めてみると
暗さよりも何か別の怖さを感じる景色だったのでそっとGoogleマップを閉じた次第である。
今思えば、よくやるなあといった加減であるが、当時は若かったこともあるし正直霊的なものはあまり信じられないタイプでもあるので、あまり怖いと思った記憶はない。
その証拠になりえるかは分からないけど、入り口に差し掛かって考えたことを未だはっきりと記憶している。常に赤信号の理由はこの車幅である。1車両分しかない訳で、両側の入り口で感知式の赤信号にしておかなければ当然ながら正面衝突だ。
何、大したことはないさ。
当時のゴメスはそんなことを考えた。
そして歩を奥に進めた。
感じる恐怖は物理的なもの。限られた視界で何かにつまづいて転んだりしないだろうか。そんな心配。
ふと、声を出してみる。
「ハッ!!」
通常ならお風呂場のそれのように反響するだろうと期待してのことだった。
が、ずっしり重い空気、というか嫌な弾力のある壁に囲まれているかのようにその声が暗闇の中に吸い込まれていった気がした。
やばい、ちょっと怖いかも、そんなことを考えた矢先に向かう先から車の音。そして光。
人とすれ違うのもそれなりに危ないくらいの狭さである。
時速20キロも出ていなさそうなその車は、先ほどまで乗っていたあの車だった。
ああ、よかった引き返してきてくれたのか。そんな安堵を感じたということは、やはりそれなりにビビっていたのだろう。
じゃんけんに負けたとは言え、こちらも悔しいので、ちょっといたずらにライトをつけたり消したり、あるいは大声で叫んでみたり、すれ違いざまにはボンネットも思いっきり殴ってやろうと思った。
だけれどそんな恐怖と安堵を隠すようなリアクションは悉く無視され、車は入り口の方へ走り去った。眩しくていまいち見えなかったけれど3人とも真顔で、一点を見つめていたような気がする。
得も知れない不安感を覚えて踵を返し、必死に車の後ろを走って追いかけた。
少しずつ車がスピードを上げ、距離が離されていくものの、何とか差し込む月明かりが見えてもう出口、というか先ほど侵入してきた入り口、が見えてきた。
例の信号の向こう側の路側帯に停まっている車とその周りを取り囲む友人3人。
ゴメス
「おいっ!ふざけんなよぉー」
そんなことを言いながら近付いて行った。
友人A
「えっ!?お前どこにおったんや。あんまりにも遅いからすっかりビビって引き返したんやと思って俺らも戻ってきてん。」
ゴメス
「は?トンネルですれ違ったやないか。車も外から叩いたけどガン無視やったやんけ。」
友人たち
「は?あんなほっそい道、気が付かへんわけないやろが。」
光の加減で見えないことはあるかもしれない。だけれど車体もそれなりの大きな音で叩いているし大声も出している。見つからないわけがないのだ。そもそも友人たち曰くゴメスがあまりにも遅いから引き返した訳だけど、ゴメス本人からしたらごく普通に歩いて15分もせずに車が引き返してきた感覚だ。他の車両も一切通らず、お互いに間違える要素など一つもなかった。
収拾がつきそうもなかった状況で、霊感が強いと言い張り、じゃんけんに勝ったことをひと際喜んでいた友人Bがこんな結論を出した。
「あれはゴメスが霊界に片足踏み入れてたんや。違うか?だってお前が歩き始めた時、信号は青やったやろ?お前があの世に向かって歩いていたのであれば、俺たちがあの狭いトンネルでお前を見つけられんかったことも納得がいかへんか?」
ゴメス
「い、いやぁ・・・」
友人B
「絶対そう!!でもなんで戻ってこれたか?それは安倍晴明と一条戻り橋の加護があったからや!!」
ゴメス
「う、うぅん・・・でも時計見てみろよ。お前らあんまりにも遅かったとか言うてるけど、たいして時間経ってへんやんけ。向こう側言ってたとか言うならお前らの方なんちゃうんか?」
友人C
「ま!!とりあえずここがやばいかもしれんって話は分かった。もうふざけてこういうことをするのはやめよや!!」
一同
「帰ろか・・・」
~リネレボとツイッターに関する怖い話~
と、ここまではまぁよくありそうな心霊話だったわけです。
そしてもう一つは短くてシンプルな内容なのですが、ゴメスはツイッターのアカウントを作って2年ちょっと。リネレボのために作ったアカウントも今や1800人以上の人と繋がりました。
まだフォロワーが200人くらいだった2年ほど前、ちょうど質問箱が流行りましたね。
今ではずいぶん使い方も多岐にわたるようになったみたいですが、やってることとしては“匿名で質問を送って回答する”というだけの遊びですよね。
幸いなことに
900件以上の質問をもらい、その殆どにお答えさせて頂きました。
大半が乳首や下ネタに関する質問、もとい質問箱の意図を無視したネタ見せコーナーと化し、質問を受けているはずのゴメスがツッコミ役になるという甚だ間違った使い方ではありましたが、質問(風の何か)をもらうたびに嬉しく心が躍ったことを覚えています。
そんなある日、その日も質問箱に何かしらの質問が届いているという通知を見て嬉しくなりました。
そして質問の内容を見て戦慄しました。
今回その内容をここに貼り付けますが、先にお断りしておきます。
まず僕はこの質問をくれた人に悪意はなさそうだと認識していて、その上で質問箱という公に公開されるシステムを利用していらっしゃったからこそ公開するわけであって、質問者さんに対して個人的な攻撃や悪意を持った行動をしているわけではありません。
これが
その質問内容です。
まず独特の世界観であることがちょっと怖かったです。
気品溢れ、美しい日本語で構成されていること、それなのに質問の内容が僕にうまく伝わらなかったこと。これも怖かったです。
そして何よりも怖かったのが、前半でお話した京都ならではの怖い話。これって自分が京都在住だって話さないと成り立ちませんよね?僕はそんな風に必要に迫られない限りは、なるべく自分に関する個人的な情報は晒さないように努めていました。
僕は京都在住だって公言したのはこの記事が初めてです。
そして質問内容の最後、東九条(トンク)は京都市内の実際の地名です。
映画パッチギの撮影場所だといえばわかる人もいるかもしれません。ちょっとディープな土地柄なんですが、その辺りは今回は触れないでおきます。
この質問を受け取った日、すなわち2年ほど前、なんとなく口調で関西人だろうなくらいには特定出来たとして、SNSで公開している情報だけでは私が京都在住であると特定できるはずもなかったんですよ。
なんとなくこの怖さ、伝わりますか・・・?
質問者様へ
質問ありがとうございました。あの時は何食わぬ顔して返事している風を装いました。
質問内容を再度晒すようなことをして本当にごめんなさい。
でも、僕はこの質問、3日間うまく眠れないくらい怖かったんです。
悪意はなかったことかと思います。僕の何かの勘違いかと思います。
ただ、今でもたまに思い出してしまうので、もしまだ質問者様がリネレボをやっていたり、僕のブログを読んでくれていたりするんだったらぜひ名乗り出てくれませんか。
そして答え合わせをさせて下さい。
そしたらきっと、貴女とも友達になれると思うのです、マドモアゼル。
~なんとなく時期に乗じて~
夏といえば怖い話!!
って誰が決めたのか分かりませんが、そんな言葉に乗じて、ゲームとは全然関係ありませんがリネレボライフで一番怖かったことを話してみました。
こんな風にネタにすれば怖い気持ちも少しは薄れるかな??
ということで今回の記事はここまでっ!!
安倍晴明と一条戻り橋の効果みたいに、過ぎ去ったユーザーたちがまたリネレボに舞い戻ることを祈って!!
然らばっ!!
またよろ乳首ーーーーーーーーーッ!!
~DJ乳らりひょんの孫 本日の一曲~