どうもッ!!
リネレボ界の御乳宮(おちちのみや)さまこと
豆乳首ゴメスだよッ!!
さてさて今日は久々にリネレボについて真面目に書く回をやろうと思います!!
ただなんというか、別にこれはリネレボに限ったことでもないのかもしれない。
他のMMOを遊んでいる人でちょっとそのゲームが楽しくなくなってきたなと思ってきたらリネレボの部分を自分の遊んでいるゲームに置き換えてもらえれば実はそのまま読めてしまうかもしれない。
或いはかつてはMMOにのめりこんだけど、今はもうそんな熱はないって人ならば、一人のリネレボのという名前の世界の住人の戯言だと思ってもらえれば少しは楽しんでもらえるかもしれない。
取り合えず能書きは置いておいてはじめてみよう!!
リネレボはつまらなくなったのか?
実は数人から
「最近リネレボがつまらなくなった」だとか
「つまらなくなったからもうやめるかもしれない」といった相談を受けた。
実際、僕もこの所と言えば子供が生まれて舞い上がっていたこともあるけれど
ゲームとしてのリネレボについてTwitterやこのブログで言及する機会は極端に減っていたと思う。
ちょっと目新しい大会であるBOLなどもあったし運営が何もしていなかった訳でもないにも関わらず、それについて発言をしなかったのは果たして面白くないからだろうか。
今日はこれを考えたい。
まずテーマとしての
リネレボがつまらなく“なった”
という主題について考えよう。
つまらなくなるというのは変化である。
すなわちリネレボが何か変わったのかから考えてみよう。
リネレボはRPGだけれどもゴメス調べによれは99%はストーリーを読んでいない。
レベルキャップ開放に伴ってメインクエストもどんどん更新されて行っている訳だけれど誰も読んでないのだから変化ではない。
育成要素についてはどうか。
これもメインストーリーと同じく新しく例えばルーンの刻印するページが増えたりだとか、アガシオンの種類が増えたりだとかはしているけれども取り立てて大きな変化はない。頭打ちするどころか、どんどん手が届かないところにゴールが遠のいていくようにも思えるけれどこれだって多くのプレーヤーにとっては最初からトップ層は遠い世界の出来事だ。
戦闘力という名の数値が伸びていくこと自体が、まるで貯金額が少しずつ増えていくかのような喜びに感じられるという所謂たまごっちプレーヤー達にとってもその本質は変わってはいない。
では対人要素やアクション要素はどうか。
新スキルがちょっと追加されたものの、大きな職バランスの調整などは全くないし、対人コンテンツの最たるものである要塞戦も全く変化はない。
もちろん戦闘力の乖離が加速に加速を重ねてジャイアントキリングのようなドラマが殆ど起きなくなったという変化もあるにはあるかもしれないが、この変化だってリリース当初から慢性的に起きている訳であって取り立てて変化と呼べるものではない。
すなわちむしろリネレボは
ちっとも変っていないのだ。
少なくともゲーム性の部分に於いては。
と、すると
リネレボがつまらなく“なった”
は厳密に言えば偽であり本来は
君がリネレボを楽しいと思えなく“なった”
というのが正しいのだろうか。
少なくとも
リネレボが今、一番楽しいと思える人はごく少数のはずだ。
それは何故なのだろうか。
これは結論から言ってしまえばリネレボがさっきも言ったように
ちっとも変化していないから
これに尽きる。
もう少し順を追って考えてみよう。
僕たちは変わってしまったのか
もちろん変化しないことによるゲームに対する“飽き”はどんなコンテンツにも付きまとう謂わばエンターテイメントの呪いだ。
もう4年近く続けていることだとは言え、人間はいずれ飽きてしまう。
仮にあなたは30年後もリネレボをやっているのか?と問われたら恐らく全員がNOだろう。
むしろ4年前にリリースされたゲームとだけ断片的に情報を与えられたらとても古く感じないだろうか。
ちなみに4年前のちょうど今頃、眞子様は小室圭さんとの婚約を発表されたり、藤井四段の連勝がストップしたり、稲田防衛大臣が辞任したり、僕の敬愛するゾンビ映画の父ジョージAロメロが死んだりしたのだけれど、どうだろう、覚えているだろうか。
少なくとも2017年はまだ平成29年であり、新元号が令和になることも、新型コロナウィルスが蔓延することも、リネレボが4年も続くタイトルになることなども誰も予想はしていなかったと言えば、相当に昔の事のようにも思えたりする。
早い人は8月にリリースされて9月には飽きていたと思うし
遅い人、即ち我々だっていつかは飽きてしまう。
いやもう僕だってリネレボはゲーム性自体には随分前に“飽きた”と明言した。
これは僕の主観かもしれないけれど
未だに装備にソウルストーンをはめ込むことや、アガシオンの強化をポチポチ連打することが楽しくて仕方ないという人は少数派だと思うし、装備の強化に失敗してもそんなにイライラしなくなったし、要塞戦だって負けてもあんまり悔しくなくなった人の方が多数派だと思う。
僕たちは変わってしまったのか?
と問われればイエスなのは間違いなさそうだ。
もちろん飽きてやめてしまった人はたくさん居たのだろうけれど
もう4周年に差し掛かるまでリネレボにお付き合いをして、毎日アプリを開き、なんならそれでは飽き足らずにこんな辺鄙なブログにまで足を運んで、こんな些末な文章にまで目を通している君がリネレボに対しての飽きを今更語ったところで
その飽き自体が君がリネレボをやめる理由にならなかったことだけは明白だ。
だから君の
飽きが直接的にリネレボをつまらなくしたのではない。
と言うよりかは、今なおリネレボをプレイしているという意味でいうなれば
ゲームをやめたいと思うほどには僕たちだって変化はしていないというのがより本質的な言及かもしれない。
だったらなぜ楽しくないのか
結論に入ろう。
ゲームを始めとしたエンタメの宿命として参加者の飽きは避けられないものだ。
だからこそ、ゲーム人口の減少についてはもうどうしようもない。
どうしようもあったのならば例えば初代リネージュは未だにMMOの最強のコンテンツであり続けたとしてもおかしくないだろう。そんな永久に続いていくコンテンツなど一つもない。
すなわち
ゲームはゲーム性をどれだけ維持し続けたとしても人は減る。
今から君が新しくゲームを始めるとしてわざわざ4年前にリリースされたMMOを選ばずに最新版の美麗なグラフィックと目新しいシステムを実装したMMOを選ぶだろう。
これは宿命だけれど実際4年も続けてきた僕たちにとってはそんなことはもう当たり前のことだ。何ならゲーム内での別れにはもう慣れてしまった人も多いだろう。
そもそも僕たちがリネレボにゲーム性を追い求めてプレイするような人種なんだったとしたら、もうとっくの昔に別のタイトルに移住を決めていたことだろう。
以上の事から結局は
僕たちがリネレボについて面白いと思っている部分は実はゲーム性の部分ではないと言うことが見えてくる。
そもそもゲーム性が面白さの重要点ではないからこそ僕たちは辞めずに今に至った。
少なくとも僕はそうだと思う。
僕たちはリネレボというゲームを“だし”にして、それに付随して知らない人と知り合ったり、要塞を奪い合ったり、或いはLRTを見てトップ層の闘いのロマンを語り合ったり、人によってはトップ層としてLRTの頂点を目指したりすることを面白がっていたのだ。
リネレボという世界に自分の分身を置いて、その自分自身に降りかかる変化だとか、ドラマだとかを楽しんでいたのだ。
だから飽きるはずなんてないし
そもそも飽きだなんて感情なんて考慮する必要はないのだ。
それが今や
サーバー内の人は大体名前くらいは憶えてしまっているし、なんなら要塞大戦をやっても知ってる血盟と当たるし、そもそもサーバー内での要塞の奪い合いなんて起きないし、LRTは多くの人にとってはもう遠い世界の出来事で128血盟にも出場権があるのはちゃんちゃらおかしく感じるし、出場するトップ層にとっても本当の意味で対戦してしのぎを削り合うべき相手なんてほんの一握りしかいない。
なぜそんなことになったのか。
それで先に言った結論に至る。
実に当たり前の結論だ。
リネレボが君にとってつまらなくなった理由は
リネレボは何も変わっていないから、なのだ。
もっと端的に切り取ってしまえば
人口なんて減って行って当たり前なのに何も変わっていないのが問題だ。
人口減少を食い止めろと言われたってそりゃ無理な話だけど人口密度を保ち続けることなら出来たのではないだろうか。
MMOにとっての世界の広さってなんだろう。
マップの広さか?否。
レベルキャップの高さや戦闘力の伸びしろか?否。
ストーリーの深みやそのストーリーを基軸にした想像世界の構築か?否。
結局は人なのだ。
知らない人と知り合ったり、その知り合った人だからこそ知っていることを教えてもらったり、教えたりしてお互いの見識を広げたり、そうでありながらもある時は敵対して戦ったり、一緒に戦闘力を延ばす為に議論したり、五十人で結託して限られたリソースを奪い合ったり、お互いを害血盟だと罵り合ったり、和解したり、その延長でオフ会で会ったり、なんなら一生ものの友達になったり。
そうして人と人が繋がって世界を広げていくことがMMOの最大の魅力なんじゃないだろうか。
人口減少と言う免れ得ない変化を目の前にしながら何もしなければ当然何も起きなくなる。
むしろサーバーという箱にギュウギュウに人を詰め込むからこそさっき挙げたようなドラマって生まれるんじゃないのか。
今はスッカスカの余白だけは広い世界にたった数人で放り込まれて、運営の言われたようにボタンをポチポチすれば戦闘力と言う名の貯金が溜まっていくような有様が展開されるだけだ。
もちろん運営もそんな問題点にはとうに気が付いているからこそ
カンフル剤としてちょっといつもと違うルールの大会を開いてみたり、もう韓国では当の昔にリリースされているアンタラス編をさも真新しいコンテンツかのように押し付けたりしてみているのだろう。
もちろんそれも大切なことだけど、ドラマがないのに大会や別アプリがあっても仕方がないのだ。
リアルマネーを戦闘力に変換だけして出場する大会などに意味はないしリネレボ本体の戦闘力の為にやる別アプリなんだとしたらクソ以下だ。
語弊があるかもしれないけど思い切って言うなら
狩場を奪い合って、ぶっ殺し合いながら獲得した戦闘力だからこそその先にある大会が面白い。
日常では出来ない振舞い、例えば横柄に振舞ってもいいし組織のリーダーにもなっていい、そんな経験がゲーム内で出来るから気持ちイイ。
色んな人達が切磋琢磨して、色んな思惑が交錯して、色んなゲーム的な制約を受けながら、自分の居場所を見つけるからこそ楽しい。
そんな中でただ下ネタを叫び続ける名前だけ目立つ変態雑魚キャラだからこそ豆乳首ゴメスになることに魅力があるし、というか見慣れてしまったらもう変態ですらない。
だから運営が今からするべきことはBOLでもなく新要塞戦大会でもなく
サーバー統合なのだ。
なんならもう3つとか、いや僕は2つにしてしまったって構わないと思う。
狩場やフィールドが足りない?チャンネル増やせばいい!!
人が多すぎて不便?その不便さそのものが面白さだと僕は思うぞ!!
要塞が保持できないだとか、城が取れなくなるだとか、思うかもしれないけれどそれは相対的な話であって、結局全サーバー単位で見れば結局君の血盟はその程度の強さだったってだけのことだ。
悔しかったら何とかして奪えばいい!!
この“何とかして”ってのをみんなで共有するのがMMOの楽しさなんじゃなかっただろうか。
統合したら邪魔だからと何の罪もない君を殺すプレーヤーがやってくるかもしれない。
でも、ただ漫然とだだっ広い場所で誰にも干渉せず干渉されずに狩りを続けているそのキャラクターは殺されてはいないかもしれないけれど僕には生きているとも思えない。
僕にとってはそれは死んでいないだけで生きても居ないように思えるけれど、確かに凪のように過ごすのも悪くないのかもしれない。
だとしたらもうその価値観でPKの有無だったりでサーバーを2つに分けてしまってもいいんじゃないかな。
と俺は思うんだけど運営の皆様はどう思いますか?
って聞きたいんだけど山Pはもうかの国に行ってしまわれたので我々は誰に文句を言えばいいんだろう。
リネレボ恒例の運営もとい山Pに対する罵詈雑言も実は楽しさの一つだったんじゃないのかな。もちろん人を傷つけてはいけないけれど、コンテンツや運営方法の在り方についての議論は絶対に必要だ。そういう意味では山Pってリネレボに必要な人だったんじゃないのかな。
もうリネレボはずっと変わることはなくこのままなのかな。
リネレボだろうがリアルだろうが同じだ
なんだかいつぞやぶりに運営への悪口を言った気がする。
正直めちゃくちゃ気持ちいいが、これで悦に入っていては宜しくない。
変わっていないのはリネレボもだけど
それは僕たちも同じだ。
僕たちは飽きもせず変わりもせずにリネレボを遊んでいる張本人だ。
リネレボはいつまで経っても変わらないからつまらなくなりつつある。
これが真なんだとしたらもう一つ言えることがある。
僕たちが変わればリネレボはもっと楽しくなるということも
また真だということだ。
例えば君が別の血盟の血盟員となればリネレボという世界は今とは別の展開を見せるだろうし、君が今まで見せなかった側面を君のキャラクターに投影すれば世界はそのように開闢することだろう。
もっと平たい言葉で言えば
世界が変わらないなら自分が変わればいい。
現実世界でそんな理想論を語られたってそうできる人は少ない。
だけれどリネレボは極めて縮小された世界だし、その中に居るのは君のほんの断片を切り取って反映したキャラクターなのだ。
きっと現実世界よりも簡単に世界(リネレボ)を変えられる。
要塞戦がないことが不満だったら既に貯めた何億というアデナを全てぶち込んで無意味に要塞を奪いに行ってもいい。きっとこの時の為に貯めたアデナだったんだろう。
刺激が足りないんだったら、起こせばいい。興味本位でPKするのも僕は否定しないしワールドチャットに何かを呼び掛けてみるのも面白かろう。
そんなことを仕掛けられて迷惑だと思ったならやり返せばいい。
このままずっと使うことのない数字を積み重ねるよりもその方が気持ちいい。
僕は小心者だし人を傷つけたくないからまずここから始めようと思う。
要塞大戦、今日くらいはちょっとやってみないか?
そんな風に血盟チャットに呼びかけてみる。
このブログに呼びかけてみる。
それだけで世界が変わるかもしれない。
もしかしたら接続したその向こうには僕のこの一文を読んでもう一度、リネレボを楽しんでみようと思ってくれた人がいるかもしれない。
そう思うだけで僕は少しリネレボが楽しくなる。
僕がもっとリネレボを楽しいと思えたなら、普段よりもボイスチャットの会話も弾むかもしれない。
そうしたら普段は仕事の忙しさや家庭環境の影響で参加できない人だって思わず家を飛び出して会話に参加したくなるかもしれない。
そうして広がった楽しさはまた新しい楽しさを呼んでいずれは君の見ている世界を変えるかもしれない。
本当はただほんの少し自分が変わっただけだったとしてもそれに、その因果に、その結果と思える出来事に感謝出来ればきっと更に世界は僕にとって優しい形に変わっていくだろう。
「リネレボはつまらなく“なった”」
そんな一言に僕は実はこう思った。
「確かにな」
全部人のせいにして、運営のせいにして
楽しもうとしていないのは自分の方だった。
“確かに”つまらなく“なった”のならば辞めてしまえばいいはずだ。
世界は変えられる。
自分が変われば世界は変わる。
もちろんリアルでもそうあるべきだ。
ならば尚のこと簡単に変えられる方の世界の自分にとってならそうあるべきだ。
そんな言葉を昨日までの僕
言い換えるならば君に送りたくなってこの記事を書いた。
然らばッ!!
またよろ乳首―――――ッ!!