豆乳首ゴメスの嫁レボ!!

L2R ヒンデミット鯖の豆乳首ゴメスが嫁と言う名のラスボスと闘う日々を綴るっ!!

4年の歳月を以て分かったこと

どうもッ!!

めちゃくちゃ記事の更新に時間がかかってしまって

オリンピックはこのゴーメリアスに任せろッ!!

という冒頭の時事ネタ挨拶が既に時事でもなんでもなくなってしまっております。

 

豆乳首ゴメスですッ!!

 

 

いやはや更新に時間がかかったのは

私的な理由もありますし、一個記事を没にしたこともあります(内容は要塞大戦の自由要塞戦モードの追加とそれを用いた大会について)

没にした理由は特にないというか、読み直して面白くなかったからなのですが、自由要塞戦を自由化したいぜって気持ちは変わらないので、同志が多そうであれば折を見て公開してみようかとは思います。

 

 

そんなことはさておき今回はリネレボ4周年記念について

実はちょっとバタバタしていて4周年記念放送はまだ見れていないのですが

先にちょっとこの4周年について思うことを書いてみようと思います。

 

 

 

~僕がこの4年で得たもの~

今回、僕がわざわざこんな更新もままならないブログを読みに来てくれている皆さんに伝えたいことは、リネレボを4年も続けてきた僕がつい最近気が付いたこと。

 

 

僕はこのブログで例えば以下のような発言を何度もした覚えがある。

“やはりオフ会は最高だ”

“オンラインの繋がりがリアルの繋がりになって行くことは素晴らしい”

“オンラインを突き詰めていくとオフになる、ゴールはオフである”

全て事実である(そして一部受け売りである)

 

でも一つだけ間違っていたことがある。それは

オンラインの繋がり<オフライン(リアル)での繋がり

であるということ。

或いはオンラインの繋がりはいずれオフラインでの繋がりになって行くべきだという概念論だ。

 

 

リネレボを始めた頃はオフ会どころかMMOがなにかも知らなかった。

はじめてすぐにその魅力に取り憑かれた。

絶対に嫌だと思っていたオフ会に参加して自分の狭量さを思い知った。

ゲームやネットの力を思い知ったし、可能な限りオフ会に参加してゲームでの繋がりをリアルに落とし込んで確たるものにしようとしたし、結果としてリネレボを使って親友が何人も出来た。

 

4年も歳月が経つと色々なことが起きる。

 

 

 

僕がリネレボにのめり込んだり、このブログを書き始めたきっかけになった人とはまだ会えずじまいだ。

 

 最初は軽い気持ちで始めたゲームだったけど今でもずっと白梟の宿屋に在籍してるし、副盟主になったりもした。

 

僕が初めて参加したオフ会の記事はこれだ。

これもまるで昨日のことのように思い出す。

この日に絶対にオフ会なんて危ないだとか言っていた僕の固定概念を打ち破ってくれた人が

先に天国へ旅立ってしまったりもした。 

もちろん僕や仲間たちの心の中やゲームの中にはまだ居るんだけどね。

 

 

リネレボを使って自分なりに多分これ以上ないってくらいに遊んだ。この日のことなども今も昨日のことのように思い出せる。この世界でリネレボを一番楽しんだのは俺だって胸を張って言えるくらいだ。

 

リネレボのリリースから3年ほど経つと僕のブログの更新頻度も下がってしまったのだけどそれは
 

自分の環境にも大きな変化があったからなのも大きい。

そして他のどんな趣味で得た友達よりもたくさんのお祝いの言葉を送ってくれたのはリネレボで出来た友人たちだった。

 

 

そんな感じの4年間だ。

ブログには書ききれなかったこともたくさんあるけれどもし時間があれば僕の是非過去記事を適当に一つ読んでみて欲しい。

なんとなく懐かしい気分になれるかもしれないし、全部が僕のみんなに語りたいほどの大切な思い出だ。

4年ってのはそれくらいに長くて変化のある年月なのだと思う。

そしてこの4年間は自分にとっては何一つ後悔のない、最高の時間の使い方をした4年間だったと思う。

 

 

 

 

~そして気が付いた~

きっかけはこの1年だったのかも知れない。

コロナウィルスが来襲し、オフ会なんて気軽に出来る世の中ではなくなって久しい。

疲弊、孤独、分断。

コロナがもたらした厄災は今も僕たちの眼前に立ち塞がっている。

 

ふと考える。

もしも僕が今までこのブログで語ってきたように

オンラインゲームのゴール=リアルでの繋がり

だったとしたらこの1年間は本当に無味で無意味な1年間だったはずだ。

 

何度も語ったようにゲームとしてのリネレボにはとっくに飽きた。

なのに僕がリネレボをやめない理由は何故か。

 

今まで何度か語ったことがあったかもしれないけれど端的に言えば

リネレボというアプリを開くとそこに僕の居場所があるからだ。

居てもいいという安心感、居て欲しいと思ってもらえる幸福感があるからだ。

リネレボで出会ったみんなが僕の居場所を作ってくれているし、僕もその人たちの居場所の一部になっているからだ。

 

今までなら、そんな居場所をリアルの世界にまで一緒に広げられたら最高だと思っていたし、それは今でも変わらない。

 

だけどそんな居場所を構築している人たちの中には

この4年間で

一度も顔を見たことがない人がいる。

一度も声を聞いたことすらない人がいる。

年齢や性別やどんな仕事をしているかだとかも知らない人がいる。

色々な事情があってきっとこの先も会えないし声も聴けない。

むしろそんな人の方が多い。

名前を出せば枚挙にいとまがない。

 

逆に言えば僕はその人について

その人が操作するリネレボのキャラクターとそのステータスしか知らないはずだ。

 

例えばもう自分でも阿吽の呼吸が出来るようになったと思えて久しいアリスf:id:mamechicbi:20210817192110j:image

顔も声も本名も知らない。なんならまだおじさんかもとすら思っている。

だけど僕の親友だし、彼女の考えていることは大体わかる。

口ではゴメスのことを馬鹿にしていても彼女は僕を尊敬してくれているのが分かるし僕も彼女が大好きだ。

 

 

 

例えばこのブログ記事でも何度も書いた歯乳結弦

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彼も顔も声も知らない。年齢は僕よりだいぶ上だそうだけど。

彼も僕の親友だ。人からしたらCP1700万もあるのになぜCP700万しかない乳凝り圭というふざけたキャラクターが盟主の血盟に居るのか全く理解不能だと思うけど、僕には彼がなぜこの血盟に居てくれるのか分かるし、なぜCPが1700万にもなっているのかも説明が出来る。

ちなみに娘の歯乳娘も声も顔も知らないし、むしろ僕よりかなり年下だけどやっぱり僕の大親友だ。

 

 

例えば元を正せばTwitterで繋がったアーシェ

これは今やなつかしさを感じる“乳首イジLUNA”アーシェが卒業した時の物だけど、それより遡ればもう殆ど文字通り4年の付き合いになる訳だ。

思えば口数は少なく、個人的な情報など一つも知らない。

だけど僕は彼のことが大好きだ。

血盟ダンジョン、要塞大戦、何をやるにしてもいつも時間通りに来てくれる。

リネレボを開けばいつもそこに居てくれる存在だ。

ぽつりと一言、楽しいと言ってくれるだけで幸せな気持ちになれる。

アーシェがどんな人で、どんな顔で、どんな声なのか知らなくても十分すぎるくらいに僕の親友だ。

 

 

もちろん別の血盟でもいい。別のサーバーでもいい。

Twitterやブログやリネレボから派生した何かで繋がり続けている人はたくさんいる。

ゲームの外にも僕にとってはリネレボは続いているし僕の居場所がある。

 

会えばもっと早くに親友になれたかも知れない。

でも多分、そうじゃない。

会って気が合って仲間になることと、4年間少しずつテキストのコミュニケーションを重ねていって、丁寧に丁寧に作り上げた関係はまた別だ。

 

きっと名前や顔や声やステータスなんて重要じゃなくて

リネレボの中のキャラクターを通して吐き出した言葉や仕草

それはその向こう側にいる人の性格、内面を含んでいる。

何一つその人の情報がなくても、何一つ言葉としての情報がなくても、その言葉から少しずつその人となりが見えてくる。

 

4年も経つとそのキャラクターの向こう側にその人が見えてくる。

その人の一番大切な部分が見えてくる。

そんな大切な部分が見えてその人のことをもっと好きになれる。

それは例えば一度会った程度では手に入らないし、きっと4年間もこのゲームを続けなければ手に入らなかった感覚だと思う。

 

少なくとも僕にとって大切なのは

オンラインか、オフラインかではない。

ゲームか、リアルかでもない。

簡単に言葉に出来るものではなかったけれど

でも僕はそれにぴったりの言葉を見つけたし、それを子供の名前にすることにした。

残念ながらここには公開出来ないからこれは皆様の想像にお任せしようと思う。

どうしても答え合わせしたい人はDMでも下さい。

 

と、まぁそれくらいにリネレボと4年という歳月は僕に大切なものをくれた。

 

 

 

~だから僕はリネレボが好き~

人と会えない時間が長く続いたからこそ気が付いた。

僕はオフ会がなくったって、会えなくたってリネレボが好きだ。

それはこの4年間という歳月で疎遠になってしまったリアルの友人だっているのに、リネレボの中で僕とずっと繋がってくれて僕の居場所を作ってくれている人たちが居るからだ。

会ったことがなくても、これからも会うことが出来なくっても、リネレボを開けば親友に会えるから好きなのだ。

 

だから実は僕はリネレボじゃなくてもいいのかもしれない。

そこに僕の好きな人たちが居て、僕の居場所があればそれでいいのだ。

要は繋がり続けることだ。

繋がり続けたことによって出来たその人との関係性や空気感の集積を僕は居場所だと呼んでいるのだろう。

 

少なくとも僕にとって4年間も続いているゲームはリネレボしかない。

そもそも4年間もサービスが続くこと自体稀有なことな気もする。

だから僕はリネレボが好きなんだって気が付いた。

 

 

僕が4年の歳月をかけて気が付いたことは

人と人との関係に於いて大切なのは

顔とか声とかステータスとか性別とか年とか、況してやゲーム内での強さとかじゃなく

言葉に出来ないような“人間味”だとか“人格”だとか“人となり”だとかそういう類の何かであるってことで

会うこと、オフ会をすることでよりスムーズ距離を縮めることは出来るかもしれないけど、それは手段の一つでしかないってこと。

結局会っても会わなくても大切なものは時間をかけなきゃ手に入らないってこと。

 

 

なんだか最終的にはとても抽象的でまたとてもじゃないけど楽しい記事ではなくなってしまった。

 

だけど

僕は開けばそこに君がいるリネレボが好きだ。

4年かけて創り上げた僕の最高の居場所だ。

 

4周年ってのはそういう数字だと思う。

そういった意味では運営さんにも感謝の気持ちを伝えたい。

きっともう少しだけこのゲームは続くだろうし、それまでにまた親友が増えたら嬉しいなと願いを込めてこの記事は終わりにしましょう。

 

ほんと次からはもう少しふざけたいつものノリの記事を書きたいと思いますッ!!

 

然らばッ!!

またよろ乳首ーーーーーーッ!!

 

 

 

 

~DJはてなブログに年間8000円も払ってるしもっとブログ書きたい 本日の一曲~