豆乳首ゴメスの嫁レボ!!

L2R ヒンデミット鯖の豆乳首ゴメスが嫁と言う名のラスボスと闘う日々を綴るっ!!

やめようと思っている君へ

どうも、豆乳首ゴメスです。

今日はいつになく真剣な文章を書きたい気持ちなので、文字装飾や画像はありません。

 

 

LRT6もやっぱり色々な問題が発生。

僕の血盟、白梟の宿屋は運営のLRT順位繰り下げ問題を受けて、128血盟出場中128位にて出場する予定です。

この繰り下げの件についても言いたいことはやまやまなのだけれど、直接に関わる人の多さを鑑みると、LRT開始前に僕がまるで代弁者みたいな面を引っ提げて好き勝手その人たちの考えてることと違うことを書いたり、始まる前からみんなのモチベを下げちゃいけないと思ったから、今日はそんなことについては書きません。

 

 

さて、それで何を書きたいのかと言えばタイトルの通り

この文章はこのLRT6を機にリネレボをやめようと思っていたり、思ったことがあったりしている人に向けて書いている。

そういう前提で書いている。

だから今もリネレボが楽しくて仕方ない人はここで読むのをやめてもらいたい。

 

 

 

今回も例に漏れず、運営さんはひどいことをやらかしてしまい、その悪印象を大きな原因としてネガティブに引退していく人がいるかもしれない。

もちろんそれはほんの一部であって、過去にもLRTを一つの区切りとしてリネレボをポジティブに卒業していった人たちがたくさん居た。だけど運営が悪いせいで、或いはLRTで不手際が起きたせいで、そんな風なネガティブなイメージとタイミングが重なると、そういうポジティブな卒業もネガティブな印象を残したり、周りが素直に送り出せない気持ちになったり、本来引退するつもりじゃない人まで引退してしまうってことが起きてしまうかもしれない。

 

そんな人たちを救うだなんていうと、どうにも恩着せがましいけど、万が一にもその助けになればなんて願いを込めてこの文章を書いています。

 

 

 

最初にちょっとだけ僕の自慢話を聞いて欲しい。

僕のキャラクター名は豆乳首ゴメス。

ここに来ている人はみんな知っていることだろうし、フォロワー数も2000人に迫った。

昔は有名プレーヤーだと言われたらちょっとこそばったい気持ちにもなったけど、これだけ人口が減ってこれば別に僕じゃなくたってみんな有名プレーヤーだから特に大したことはない。だから今から書くことも何も偉そうに語ってるだなんて思わずに、その辺のおっさんの戯言だと思って欲しい。

そんなことよりももっと自慢したいことがある。

 

この現在リネレボに存在する豆乳首ゴメスというキャラクターが成立する確率という面をふと考えてみた。

 

 

今日まで発売されたそれなりに大きい携帯MMOタイトルは放っておいてもアリスが豆乳首ゴメスという名前を使えるか検証してくれるんだけど、大体三分の二くらいは乳首と言うワードが使えない。

 

僕はリネレボがちゃんと経験する初めてのMMOであって、特にMMOがやりたいという想いはなかった。友達に誘われて何となく先行登録をしたし、豆乳首ゴメスという名前で登録したけどもし名前で弾かれたらやらないからなと何度も言っていた記憶はある。

そうするとまず、乳首という名前が使える確率で三分の一の確率を引かなければならない。引かなければ僕は携帯MMOを始めることはなかったと思う。

 

 

リネレボを皮切りにして数々の携帯MMOが発表された。

ヴェンデッタ、フェイス、黒い砂漠等々、僕も触ってみたタイトルもたくさんある。

僕で言えばまぁ10タイトルくらいは少しは触ってみたりもした。

もちろんリネレボを先行して始めていたから若干正確ではないけれど、乗り換える気が全くない訳でもなかったのだから、その母数の中からリネレボを選ぶ確率は十分の一である。さっきの僕がなんの苦労もなく携帯MMOを始められる確率と合わせると三十分の一である。

 

さらには僕がこのゲームを気に入っている理由の一つにドワーフにスク水を着せて髑髏面を被ることができるという所だし、今の自分のゲームライフのアイコンにもなっている訳だけど、これも開始時の4種族でドワーフを選んでいなければ出来ないこと。アホくさいと思われるかもしれないけど、これが出来なかったらどこかでモチベーションが保てなかったと思う。最初は適当に種族と職を選んだからすなわち四分の一の確率。

これで百二十分の一である。

 

さらにはさらには僕にはどうしてもこの一言がなければ長くはリネレボを続けなかっただろうという一言がある。

「ゴメス君がこのゲームの中で知り合った一番素敵な人でした」

この一言がなかったら絶対にリネレボをやめていた確信がある。

今でもささやき一覧の上から6番目に残っているその一言を言ってもらえる確率を数値化するのは難しいけれど、それを言ってくれたリネレボにはもういないその男と僕が知り合う為に必要な確率は少なくとも最初に選べるサーバー60個のうちのパプリオンをピンポイントに選ぶ必要がある。

だから少なくとも120×60で七千二百分の一の確率である。

 

そして僕はずっと言っていた言葉がある。

「僕は白梟の宿屋をやめる時にはこのゲームをやめる」

思えばリネレボの開始時には何個の血盟があっただろうか。

そして今、何個の血盟が残っているだろうか。

正確な数字なんて分からないけど僕が白梟が終わったらゴメスも終わると心に決めてからでも少なくとも血盟数は五分の一にはなったし、本当に僕が白梟の宿屋以外の血盟に所属していたとしたらどこかでやめていただろうと仮定するならもう当時存在した全血盟数分の一の確率になる。

それはちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、自分はこの血盟が自分にとってベストだと信じて止まないのだからあながち間違いでもないとも思う。

 

まぁ少なく見積もって単純に血盟が存続する可能性が五分の一だったとしても先ほどまでの確率とかけ合わせたら三万六千分の一である。

 

豆乳首ゴメスが現在、フェイシャルサーバーに存在するだけでも割と低い確率をくぐりぬけてきているし、その上でよく人にはゴメスさんだ!と声を掛けてもらえるくらいには認識してもらっているし、このブログだって最近は更新頻度が低いけどそれでも毎日100人以上アクセスしてくれている。それは素晴らしく有難いことである。文字通りに有難い、そう、なかなか望んでも手に入らないものである。

リネレボをすぐにやめてしまったり、そもそもリネレボを始めなかったり、今リネレボで知り合えた親友たちと知り合うことがなかったり、そんな無数の別の僕が那由多の彼方まで存在するような並行世界のうちのたった一つが今だし、この今にとても満足している。

この豆乳首ゴメスってキャラクターを作り上げたのは誰でもなく僕だから、僕はみんなに胸を張って自慢したい。

 

 

 

だけど僕が言いたいことは、豆乳首ゴメスが現在もリネレボを楽しんで豆乳首ゴメスとして存在する確率は奇跡です!!だなんてことじゃない。

逆にそれを奇跡って呼ぶならば、例えば夕飯を作るためにフラッと買い出しに出かけてAスーパーでもBスーパーでもないC八百屋店に偶然入店して、雑然と並ぶきゅうりでも玉ねぎでもなくじゃがいもの棚に目が行き、その何百個と折り重なってと存在するじゃがいもの中からなるべくおいしそうなものを手に取ると店主が「それが今日のじゃがいもの中で一番大きいよ!!お目が高いね!!」と褒められたことも声高らかに奇跡だと言わざるを得なくなる。

だから僕が今の僕でいることなんて奇跡でも何でもない。

よくJーPOPでありがちな70億分の1で君と出会えた奇跡だとかいう歌詞もこの八百屋の類と全く同じで、例えば僕が嫁と知り合って結婚したのもただの成り行きの結果でしかない。

 

こんな言い方をするとロマンのかけらもないかもしれないけれど、奇跡というのは起きるものじゃない、起こすものだと僕は思う。

じゃあ奇跡ってどんなものか。こう仮定してみよう。

僕が例えば現在の記憶を持って赤ちゃんに戻ったとする。方や嫁は記憶を失い、顔も名前も別人のものに変わってたった一つお尻の穴の隣に小さく嫁という文字を刻まれて赤ちゃんに戻ったとする。

その状況下に於いて、僕がもう一度嫁に会いたいと一生かけて尻の穴のそばに嫁と小さく刻印している女性を探し当てたとしたらそれは十分に奇跡を“起こしている”と言えるだろう。

 

多くの人は自分にとって都合のいい偶然を奇跡と呼ぶけれど、僕は望んだり、願ったり、起こしたいと思ったりした先で本当に実現することが奇跡だと思っている。自分でつかみ取る場合ももちろん、神様にお祈りするだけで与えられたりもする場合も、少なくとも祈ってるから奇跡で良い。

 

 

そしてせっかくこんな回りくどい文章をここまで読んだついでに自分のリネレボのスタートから今までを思い返してみて欲しい。

なんなら目を瞑って、胸に手を当てて。

 

 

 

 

 

 

 

僕が言いたいのは

ここまでの話は何も僕に限った話じゃなくみんなだって同じことだってこと。

僕のように名前が際どい人はそんなに居ないし、別に血盟はどこだっていいって人もいるし、最初から今までずっと誰とも触れ合わずにリネレボをしている人だっているかもしれない。

 

だけどいつやめてもいいはずの、ただのゲームを、3年以上も続けていることってかなり低い確率の先の出来事だと思わないか?

況してや、それが今、そのゲームをやめようと思ったけれど、それを決めるよりも前にたまたま豆乳首ゴメスという変態がやっているブログの記事が目に留まり、嫌がらせのように回りくどい文章を読まされた挙句、わざわざ過去の事を思い出すように促されて、それをやったかどうかは置いておいても結局今僕が書いているこの行のこの文字にあなたの目が辿り着いた確率ってどれくらいだろうか。

文頭にも書いたとおり、これはやめようと思っている人に書いている。リネレボで話したあの人、ツイッターでよく絡むあの人、大戦や貪欲で僕を殺した名前しか知らないあの人を思い浮かべながら。届けばいいのにと思いながら。

 

そして僕はやめるなというメッセージを贈りたくて書いているのではない。

 

きっとみんなは、僕と同じようにこの3年半。

たかだかゲームなのに本気になったり、クソみたいな運営に翻弄されたり、人によっては人生のパートナーを見つけたり、笑ったり泣いたり、やめようかと思ったりしながらここまでたどり着いた。

 

特に意識はしていなかったと思うけれど、みんなも僕と同じなら“リネレボをやめなかった”というここの時点に辿り着くまでにはものすごく低い確率を引いてきているはずだ。

それは他の人には到底描けない絵を描いてきたようなものだ。

或いは貴方だけが積める形で積んだそびえ立つほど高いつみきでもよい。

 

 

ゲームをやめることは仕方がないことだ。

まるで別の絵を描くためのキャンパスを用意するかのように人は新しいことに挑戦する生き物なのだから。

 

だけど3年半やって沢山見てきたのは

せっかくそんな君にしか出来ないものを、最後の最後で全部破ってしまったり、土台から壊してしまったりする人だ。

 

僕はリネレボをやめる人を減らしたいのではない。

 

あなたが偶然やめずに続けたリネレボで描いた軌跡を奇跡に変換したくて書いている。

 

 

あなたが記憶を失ってもう一度、リネレボのリリース日に戻ったとしても、絶対にもう一度ここにたどり着きたいと思えるようなそんなゲームライフだったなって思えるものになるように、最後の一筆を入れたなら、或いは最後のつみきを置いたなら、それは他の誰にも手に入れられない貴方だけの奇跡に成り得ると僕は思う。

 

逆に言えば、リネレボでの体験は奇跡のようなものだったと言い切れる瞬間こそがあなたが卒業するべきタイミングなのかも知れない。

 

そして僕にとっては、運営や大会やゲームそのものに落胆してやめてしまうはずだった人を、たった一人でも救えたとしたらそれが奇跡だ。

 

 

僕があまりにも杜撰な運営を見て思うことの一部を文章にしてみました。

 

奇跡は僕たちで起こせる。

これが僕の言いたかった事。

それでは今回のLRT6もみんなで戦ったり、観戦したり、笑ったり泣いたりして楽しんでいきましょう!!

 

説教臭くてごめんね

しからば!!また戦場で会いましょう!!

 

 

 

~DJ豆乳首ゴメス 本日の一曲~